「河津知典」の版間の差分

提供:KAZE.WIKI
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
27行目: 27行目:


== 藤井風との出会い ==
== 藤井風との出会い ==
藤井風は、2017年8月頃からYouTubeに弾き語りカバー曲をYouTubeにアップし始めた。そのちょうど1年経った2018年ごろから、藤井風の元には音楽関係者からぼちぼちDMが届くようになっていた。
藤井風は、2017年8月頃からYouTubeに弾き語りカバー曲をYouTubeにアップし始めた。
それからちょうど1年程経った2018年中頃から、藤井風の元には音楽関係者からDMが届くようになっていた。


連絡がきた何社かに実際に会う中、皆"いいこと"しか言わないため、藤井風自身も何が正解なのかわからなくなっていた。
連絡がきた何社かの担当者と実際に会う中、皆「いいこと」しか言わないため、藤井風自身も何が正解なのかわからなくなっていた。
そんな中、直接岡山まで来てくれたのが河津知典だったという。その時点では岡山まで直接来て(そこまでの情熱を見せて)、藤井風の親にも実家に直接来て説明してくれたのは河津知典だけであった。


河津知典がここまで熱烈に藤井風を岡山まで誘いに来たきっかけを作ったのが、SHISHAMOのボーカルである宮崎朝子である。宮崎朝子は一言河津知典にこういったという。
そんな中、初めて直接岡山まで来てくれたのが河津知典だったという。
岡山まで直接来て(藤井風への情熱を見せて)、その後に藤井風の親に実家に直接来て説明してくれたのは河津知典だけであった。
 
河津知典がここまで熱烈に藤井風を岡山まで誘いに来たきっかけを作ったのが、SHISHAMOのボーカルである宮崎朝子である。宮崎朝子は一言、河津知典にこういったという。
<blockquote>
<blockquote>
ユーチューブにすごい子がいるんですよ!<ref name=bio />
ユーチューブにすごい子がいるんですよ!<ref name=bio />
</blockquote>
</blockquote>
藤井風自身、岡山から出て環境を変える必要性を感じており、2019年には河津知典の元で上京を決心。
藤井風自身、岡山から出て環境を変える必要性を感じており、2019年には河津知典の元で上京を決心。
河津知典が企画に携わる[[VIVA LA ROCK]]の出演まで繋がり、メジャーデビューを果たした<ref name="musica">{{Cite web |url=https://redirect.kaze.wiki/MUSICA202205.html |title=MUSICA(ムジカ) 2022年 05月号 雑誌 – 2022/4/15|accessdate=2022年8月29日 |publisher=FACT}}</ref>。
河津知典が企画に携わる[[VIVA LA ROCK]]の出演まで繋がり、メジャーデビューを果たした<ref name="musica">{{Cite web |url=https://redirect.kaze.wiki/MUSICA202205.html |title=MUSICA(ムジカ) 2022年 05月号 雑誌 – 2022/4/15|accessdate=2022年8月29日 |publisher=FACT}}</ref>。



2022年8月31日 (水) 02:04時点における版

かわづ とものり
河津 知典
生誕 (1975-01-29) 1975年1月29日(50歳)
日本の旗 日本宮城県
出身校大阪音楽大学短期大学部卒業
職業藤井風マネージャー
配偶者あり

河津知典(かわづ とものり 1975年1月29日 -)は藤井風のマネージャー。宮城県出身。愛称は「ずっず」「Wild Dandy Manager」[1][2][3]。 東放学園音響専門学校では、「コンサートビジネス」の講師を勤めた[4]

概要

1997年にディスクガレージ株式会社へ入社。イベントやコンサートの企画制作に携わる。

ミュージシャンのマネージャー業ではSHISHAMOを手掛けた。 なお後述するが、SHISHAMOのボーカルを務める宮崎朝子のきっかけで、藤井風をメジャーデビューにつなげた立役者でもある。

藤井風との出会い

藤井風は、2017年8月頃からYouTubeに弾き語りカバー曲をYouTubeにアップし始めた。 それからちょうど1年程経った2018年中頃から、藤井風の元には音楽関係者からDMが届くようになっていた。

連絡がきた何社かの担当者と実際に会う中、皆「いいこと」しか言わないため、藤井風自身も何が正解なのかわからなくなっていた。

そんな中、初めて直接岡山まで来てくれたのが河津知典だったという。 岡山まで直接来て(藤井風への情熱を見せて)、その後に藤井風の親に実家に直接来て説明してくれたのは河津知典だけであった。

河津知典がここまで熱烈に藤井風を岡山まで誘いに来たきっかけを作ったのが、SHISHAMOのボーカルである宮崎朝子である。宮崎朝子は一言、河津知典にこういったという。

ユーチューブにすごい子がいるんですよ![1]

藤井風自身、岡山から出て環境を変える必要性を感じており、2019年には河津知典の元で上京を決心。

河津知典が企画に携わるVIVA LA ROCKの出演まで繋がり、メジャーデビューを果たした[5]

音楽への思い

未来のスター候補が“ロック”と出会う機会を作りたい

河津知典は、これまでコンサートプロモーターとして音楽業界に従事してきた傍ら、音楽業界人によるフットサル大会の「音蹴杯」(おんしゅうはい)を企画・運営するなど、業界全体をさまざまな側面で盛り上げ得る取り組みを行っている。 その中で、音楽ジャーナリストの鹿野淳が音蹴杯に出場しており、彼とのタッグで2014年に生まれたのが「VIVA LA ROCK」というロックフェスであった。

河津知典がはこのフェスを通じて、“ロック”と出会い、音楽を始めるキッカケを増やす取り組みを行っているという。例えばフェス内で「VIVA LA GARDEN」というエリアを設け、チケット持っていない地元の人のためにフリーで入れるスペースを開放し、地元の子供たちがロックと出会う機会を作るなど、なるべくロックに気軽に触れやすい環境を整えている[6]

脚注